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メンズファッションディレクター 赤峰 幸生のBLOGです。

2008年09月24日(水)

OCEANS 11月号 「パパ男」改造計画 【知】 [OCEANS掲載記事]

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■OC的流儀■感動して知のフィールドを広げる!
“知の巨人”に聞く!感動力の高め方

素晴らしい男=「パパお男」になるためには、常に知的好奇心が旺盛で“知のフィールド”を広げていくことに貪欲でなければなりません。そして、そのために不可欠なことは“心をふるわせる=感動すること”。しかしながら、現代人はそうやって感動することが少なくなってきています。だからこそ、今改めて“感動力”を高める必要があるのです。
ということで、本誌にて「オトナ相談室」を連載中の赤峰幸生氏とスペシャルゲストに松山猛氏を招き、感動力の高め方について伺いました。
“知の巨人”が語る、歯に衣着せない“言葉”には、感性を呼び覚ますヒントがいっぱいです!

 
 

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今回の対談では「感動力の高め方」がテーマです。まずは、最近、感動したことを教えてください。
赤峰氏(以下、敬称略)  8月に東京国立博物館での企画展「対決 巨匠たちの日本美術」を観て、感銘を受けました。中世から近代までの日本美術史に名を刻む巨匠たちをふたりずつ組み合わせ、名作を対決させる形で紹介しているのですが、まず、催しを企画した人の意図に感動したのです。
松山氏(以下、敬称略)  僕はその催しは見逃しましたが、対決させることで個々をより際立てたのですね。
赤峰  展示内容の中では、特に(注1)宗達(注2)光琳の対決が素晴らしかった。有名な作品ですが、従来の“作品を観る視点”を変えたことに面白さがある。つまり対決形式によって、従来の作品が新鮮なものに変わりました。思わず夢中になって鑑賞しましたよ。
松山  僕は時計についての評論を生業のひとつとしています。もともと、自分が時計に魅せられて、興味を持ったことについて知識を蓄えることが好きだから、時計についての執筆やコメントを依頼されるようになったのです。今、興味を向けていることは着物。最近は着物周りのものが気になっています。京都文化博物館で開催された日本人の“飾る”という情熱にスポットを当てた企画展「KAZARI 日本美の情熱」は実に感動しました。僕は京都で生まれ育ったこともあり、実は中学生のころから骨董に興味を持ちました。(注3)東寺で行われる骨董市には今でも訪れます。骨董は私の商売ではないから、“自分が気に入り、身近に置いておきたいと思う”、が私の選択基準です。
赤峰  自分の好奇心をとことん追求することは、自然な行為でもあり、知識を高め、感動力を高めることに通じます。私の場合そのひとつが服であり、たまたまそれを生業としているというわけです。
松山  服で思い出しました。昔のことですが、ドイツの「ラコ」というタイに魅せられたことを覚えています。20歳のころ、とても惹かれましたが、高価で手に入れられなかった。
赤峰  ありましたね、ラコ。神戸の元町にある輸入ネクタイの専門店、元町バザーに置いてありました。
松山  今はいたるところに物があり、そしてそれがどこででも手に入る。情報が多すぎます。だから、感動しにくい。お手本となるような、理想の人がいない、とういことにも理由はあるようです。
赤峰  そう。ファッションでは身近な人がお手本であり、憧れでした。私は叔父貴の(注4)清水幾太郎がそうでした。丸善で仕立てたネイビーのブレザーを着ていて、子供心ながらに格好いいと感動していましたよ。
松山  僕にとっての憧れの大人は父でした。中学2年生のときに亡くなったのですが、父の姿は脳裏に焼き付いています。年に2回、仕立屋が家に着てスーツをあつらえるのですが、父が最後に仕立てたスーツは僕が選んだ(注5)バーズアイの生地でした。
赤峰  当時は映画からも影響を受け、そのたびに心をふるわせたものです。
松山  そう。今より映画は情報価値が高かった。スクリーンに映った(注6)ハンフリー・ボガートの腕元に目が留まり、それがアンティーク時計に興味を持ったきっかけでした。その後にアンティーク時計を手に入れて、壊れたので店に持っていったのです。店主が「いい機械が入っているから大事にしろ」と言って、中を見せてくれました。とてもきれいでね。感動しました。それからバックアップのためにと何本かのアンティーク時計を購入して、蒐集がはじまったのです。時計以外でも、服を見るために映画を観たということもありましたね。石原裕次郎、(注7)天地茂など。麻生太郎さんは天地茂を意識した着こなしではないかな。(注8)ジャン・ギャバンが演じるギャング映画も父に連れていってもらった。映画の帰りには洋食屋に寄るのですが、その味にはいつも感動していました。こういったごく日常のなにげないことに、心をふるわせていましたよ。
赤峰  映画はやはり映画館で観なければダメですね。過去の名作を観る手段としては仕方のないことなんだけれど、家でDVDを観るだけでは魅力が半減する。映画館に足を運ぶ、その行為も映画鑑賞に含まれている。簡略化することだけが、すべてじゃない。昔と今の生活の違いはそういったゆとりというか、情緒、つまり「間(ま)」があるかどうかだと思います。先日の北京オリンピックのデジタル花火なんて、情緒のかけらもなかった。やはり本来の日本の花火には、一発一発に「間」があって、余韻を楽しめる。だからこそ感動につながるのだと思う。
松山  デジタルの音楽だってそう。アナログのレコードには独特な音の“揺らぎ”がありました。完璧な音ではないのですが、それが人間的で、心地よく耳に入ってくるのです。正確すぎることはともすれば息が詰まるような錯覚に陥ることもある。
赤峰  私たちが求める「幸せ」にはふたつある。技術の進歩がもたらす「便利な幸せ」と、昔ながらの「便利ではない幸せ」がある。それらに優劣はないが、今の時代に生きるならやはり両者をバランスよく享受していくことが理想です。しかし、今、後者の幸せがどんどんなくなってきている。目を向ける機会すらなくなっているという事態なのです。

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感動しにくい時代と言うことなのですね。では、その原因は何でしょうか?
松山  コミュケーションの取り方が変わってきましたね。人と人が話さなくなった。
赤峰  パリのサン ジェルマン・デ・プレの有名な(注9)カフェ・ドゥ・マゴ。そこで語り合った人々なんかに憧れもあって、私もジャズ喫茶で顔を突き合わせてお互いに目と目を見ながら会話するということに夢中になったことがありました。でも、今はメールで終わり。ブログなんていうものもあるけれど、誰かよく知らない人が何かに感動したからって、気持ちが伝わってこない。
松山  以前バーに行って、隣の席に座っている人が面白い話をしているから、話に加わろうとしたら、変な人だと思われてしまった(笑)。なんだか寂しいですね。
赤峰  ヨーロッパでは汽車の中で、知らない者同士が会話しているのは日常の風景。江戸前なら、相席という文化もあります。
松山  僕は京都から東京に出てきたのですが、東京は下町を知らないとダメだと思ってよく下町に繰り出しました。飲み屋で隣の人と話したり、お酒を見知らぬ人からごちそうになったり、些細なことでも、そこに感動の種は落ちていたように思います。
赤峰  長屋という文化もありました。
松山  現代の高層マンションは立体的な現代版の長屋ですよ。しかし、昔とは勝手が随分と違う。組合内でも携帯電話の番号は教え合わない。個人情報だから、と。隣に誰が住んでいるかもわからない。連絡先もわからない。怖いですよ。でも、それが当たり前。物騒な世の中だからでしょうが、他人に関心がないと思えてなりませんね。もっとおせっかいであってもいいと思う。
赤峰  昔はね、いい顔つきをしたオヤジが街中に多かった。
松山  そう。自分もそんなふうになりたいと思う、格好いい大人が本当に多かった。
赤峰  理念を持っていて生きている大人がいた。その人なりの「生き様」を持っていた。それに比べて今は他人からの評価ばかりを気にしている。「あなたの人生のコンセプトは何ですか?」と問いかけたくなる。
松山  『(注10)平凡パンチ』をはじめ、さまざまな雑誌作りに携わり企画を手掛けました。自分の興味が向く企画ばかりでした。若い人に、「松山さん世代がいろいろな面白いことをやり尽くしたから、今は面白いことがない」と言われることがあります。しかし、それは間違い。今の時代にも興味深いことは山ほどある。ただ、それに気がつかなくなってきているだけ。
赤峰  感性が鈍っている。それはコンクリートに囲まれた都会で暮らす弊害でもあると思います。私は東京生まれの東京育ちですが、果たして東京で暮らすことが幸せなのか、疑問に思います。感性が鈍っている、感動しなくなっていると自覚のある人には、田舎暮らしをすすめたい。都会にはない感動がいっぱいありますよ。
松山  25年ほど前、信州で2年暮らしたことがあります。子育てをするようになって、子供が土を知らないことに気がつき、本物の自然に触れさせたいという思いが理由のひとつでした。自然との接点は人間にとって大切。それが長く失われると、五感が鈍ってくる。感動を得ることが少なくなったというのは、たしかに都会病とも言えるかもしれません。私はさまざまな場所を旅しましたが、そこで改めて人間はどんな人種でも基本はまったく同じ姿だと感じました。生活習慣や宗教が違っても、人間のすることはさほど変わらない。女性を好きになり、子供を作り、子供を育てる。歴史が始まって以来、そういう営みが続いている。この当たり前の営みの中に、感動があることを多くの人が忘れがちだと思うのです。
赤峰  「生きる営み」。朝があり、昼があり、夜がある。自分が生を受けて、この世に存在することのありがたみを感じることは、まさに感動の源泉ではないでしょうか。

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本対談にて初対面した両氏。赤峰さんは東京生まれの東京育ち、松山さんは京都生まれの京都育ち。お互いに日本文化への思いが深く、対談の中で意見が一致することがしばしば。4日違いの8月生まれで、同じ獅子座であることでも“ただならぬ”シンパシーを感じ合っていました。
 
 
 
では、感動力を高めるうえでの身近で具体的な方法を教えてください。
赤峰  やはり本を読むこと、これは欠かせない。近頃は活字離れが進んでいるようですが、本には感動を呼び起こす要素が多い。おすすめの本はたくさんあるけれど、私が何度も読み返すのは(注11)夏目漱石の『こころ』。一読をおすすめしたい本の代表です。(注12)塩野七生の『人びとのかたち』も付け加えたい。映画を観ることの勧めでもあります。
松山  あえて選ぶなら(注13)久生十蘭。そして(注14)ヘミングウェイ。へミングウェイの著作は私を旅へ向かわせたきっかけでもあります。
赤峰  私もヘミングウェイには影響を受けました。常宿にしていたというヴェネチアの(注15)ホテル グリッティ パレスにも、好奇心から何度か宿泊したことがあります。
松山  ヘミングウェイの足跡を辿った(注16)『パパ・ヘミングウェイ』もおすすめの本です。旅は僕たちの価値観を変えてくれる。感動力を高めるためには、有効な手段ですね。

お二人が好奇心の赴くままに訪れ、そして心から感動された「旅」について教えてください。
赤峰  イタリアは何度も訪れている国です。ミラノやローマのような大都市ではありませんが、忘れられないのは(注17)トリエステ。感動的な都市でしたね。同じイタリアでも、ここまで多文化が混ざり合う場所も少ない。詩人ウンベルト・サーバの本屋は一見の価値があります。
松山  僕は、奇才(注18)ガブリエレ・ダヌンツィオに興味を抱き、彼の暮らしていた家を見るためにイタリアのヴィットリアーレを訪れました。非常に思い出深い旅でしたね。
赤峰  いろいろな場所に赴く旅もいいですが、過去に行ったことのある場所へ再び行くという旅もおすすめしたい。昔と今では感じるものが違う。その違いを実感することにも大いに意義があります。
松山  そういう意味では早く行ったほうがいい場所もある。オーストリアのザルツブルグは素晴らしい景観の街ですが、3年ほど前に再訪したときはマクドナルドができていた。一概にマクドナルドが悪いわけではないが、かつての趣はありません。
赤峰  アメリカによる(注19)グローバリゼーションですね。あと、東京の下町も様変わりしている。かつての情緒や風情は急速に失われています。
松山  日本はヨーロッパと比べて、歴史的建造物へのリスペクトが少ない。常にスクラップ&ビルドを繰り返している。もっと日本の文化に誇りを持ってしかるべきです。日本から影響を受けた文学や芸術も世界には数多い。(注20)ゴッホの『梅の注花』がまさにそう。歴史を紐解けば、私たちの住む日本には世界に誇る文化が溢れていることがわかります。
赤峰  しかし、そこに人々はそこに気づかない。だからこそ、感動力を高める必要がある。旅での非日常は感動を呼び起こすきっかけになります。また、己を知る体験でもある。つまり、価値観、そして生き方を変えるきっかけとなる。だからこそ、もっと旅をしたほうがいい。仕事に追われているばかりでなく、しっかり休んで旅に出るのです。

お二人の生きていくうえでの心構え、座右の銘のようなものがあれば教えてください
松山  「迷いの中に悟りがあり、悟りの中に迷いがある」。平たく言い直すと、頭の中で考えることはタダ、請求書は送られてこない。人間、どこで暮らしていても思考を巡らせることはできる。その行為をどんどん楽しんでほしい。私自身、どうしたらもっと人を楽しませることができるかを、これからもずっと考えいていこうと思います。
赤峰  先ほども言葉に出しましたが、「生きる営み」に尽きます。家族と過ごす、毎日のなにげない生活ほど素晴らしいものはないでしょう。そして、普段の生活の中にこそ、得難い感動が潜んでいると思います。映画を観たり、本を読んだり、旅をしたり。それらも感動力を高めるための有効な方法。ただし、それ以上に普段の生活で見つける感動のほうが、よりリアルに、心をふるわせます。冒頭でお話した「対決 巨匠たちの日本美術」のように、見慣れたものを少し違う角度で見てみる。そんなちょっとした行為が感動の種を見つけるきっかけになると思うのです。自分とは何か、家族とは何か、そうやっていつも問い続けることを忘れないでください。感動力とは、あなたのすぐそばにあるものを使って簡単に高めることができます。誰にでもできる、決して難しいことではないのですから。
 
 
 
(注1) 「宗達」
俵屋宗達。生没年不詳。尾形光琳が私淑し「琳派」の祖ともいわれるほどの江戸時代初期の大画家。「風神雷神図屏風」ほか3点が国宝に指定されている。風神雷神図のような装飾的大画面だけでなく、水墨画の名作も世に残している。江戸時代後期〜明治時代にかけては評価が低く、光琳の絵のほうが上だと見做されてきたが、現在では光琳勝るとも劣らないほどに評価が高い。


(注2) 「光琳」
尾形光琳。1658年〜1716年。江戸時代の画家、工芸家。後に「琳派」と呼ばれる背景に金銀箔などを用いた装飾的大画面を得意とする画派の代表的画家。その非凡なデザイン感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画や工芸、ヨーロッパの印象派にまで大きな影響を与えた。


(注3) 「東寺で行われる骨董市」
京都の東寺で開催される弘法市のことで、祖師空海入寂の3月21日を期して、毎月21日に御影堂で行われる。当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は、毎月行われるようになった。


(注4) 「清水幾太郎」
1907年〜1988年。社会学者、評論家。赤峰氏の叔父にあたる。優れた日本語の書き手としても知られその著書は多数。学習院大学では教授を務めた。当時、皇太子時代の今上天皇が外国訪問のため皇太子の出席日数が足りなかった際、外国訪問を授業の代わりとして単位を与えるとする案が出たが、これに対し「他の学生が苦労して単位を取得しているのに、皇太子だけを特別扱いする訳にはいかない。それならば聴講生になってもらえばよい」と反対したというエピソードは有名。


(注5) 「バーズアイ」
文字通り「小鳥の目」という意味で、円の中に点が入った一種の水玉模様を全体に散りばめた織り柄。
 

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(注6) 「ハンフリー・ボガート」
1899年〜1957年。ニューヨーク出身のハリウッド映画俳優。ボギーの愛称でも知られる。代表作は『カサブランカ』。トレンチコートに煙草がトレードマーク。


(注7) 「天地 茂」
1931年〜1985年。1965年、三島由紀夫の依頼により、美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』で明智小五郎役を演じ、これが大当たりの役となる。ハードボイルドの代表的なスターであり、ニヒルな眉間のしわで“マダムキラー”の異名を持った。

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(注8) 「ジャン・ギャバン」
1904年〜1976年。フランスの映画俳優。歌手としても活躍。一癖も二癖もあるならず者やお尋ね者を得意とし、ギャング映画に数多く出演。深みのある演技と渋い容貌で絶大な人気を誇り、1954年にはジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』に主演し、後にギャバンの代表作とも言われるほどの名演を見せる。日本の特撮作品『宇宙刑事ギャバン』の名前は、彼から取られている。

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(注9) 「カフェ・ドゥ・マゴ」
1920年代に文学者や芸術者、左翼知識人のたまり場となったパリのカフェ。第二次大戦の兆しが見え始めたころ、人々が政治的な議論をしに集まり、サルトルやカミュなどを筆頭に実存主義者の根城になったという。その後、ピカソやヘミングウェイにも親しまれた。


(注10) 「平凡パンチ」
1964年、平凡出版(現マガジンハウス)から創刊。ファッション、情報、風俗、グラビアを扱う男性向け週刊誌として、人気を博す。

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(注11) 夏目漱石の『こころ』
1867年〜1916年。日本の小説家、評論家、英文学者。『吾輩は猫である』、『三四郎』、『坊ちゃん』で広く知られ、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の大文豪と称される。写真の『こころ』は友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人から恋人を奪ったために罪悪感に苛まれた「先生」の遺書を通して、明治人の利己を追う代表的な作品。

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(注12) 塩野七生の『人びとのかたち』
1937年生まれ。東京都出身の作家。1963年からイタリアへ渡り、1968年に帰国すると執筆を開始。雑誌『中央公論』掲載の『ルネサンスの女たち』で作家デビューを果たす。現在はイタリア永住権を得て、ローマ在住。ローマ帝国興亡の歴史を描いた全15作の『ローマ人の物語』が有名。同作で司馬遼太郎賞の受賞、イタリア政府より国家功労勲章受章、文化功労者に選出される。『人々のかたち』は、自身に多大な影響を与えた映画を題材に、人生の奥深さというものを語る力作。


(注13) 久生十蘭
1902年〜1957年。北海道函館市出身の小説家。推理もの、ユーモアもの、歴史もの、現代もの、 時代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手がけ、博識と技巧で「多面体作家」、「小説の魔術師」と呼ばれた。「黒田騒動」(1624年に福岡藩主の黒田忠之とその側近と筆頭家老などの間に生まれた軋轢から10年に及ぶお家騒動)に巻き込まれ破滅に向かう人間像を描いた『鈴木主水』で、1952年に第26回直木賞を受賞した。

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(注14) ヘミングウェイ
アーネスト・ヘミングウェイ。1899年〜1961年。アメリカの小説家・詩人。カジキと闘う孤独な老漁師サンチャゴの物語を描いた『老人と海』は、1954年にノーベル文学賞受賞のきっかけとなった作品として有名。また、彼を語る上で外せないのが釣りから狩り、ボクシング、闘牛を楽しむアメリカ的で男らしいライフスタイル。世界中から「パパ・ヘミングウェイ」の愛称で今なお親しまれる20世紀を代表する人物。

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(注15) ホテル グリッティ パレス
ヴェネチアの旧市街中心地にある高級ホテル。共和国時代の統領アンドレア・グリッティの居住館として1525年に建設され、バチカン市国の大使館としても使用されていた歴史を持つ。英国ロイヤルファミリーやウィンザー公、モナコのプリンセスなどの著名人が顧客として名を連ねていたことでも有名。


(注16) 『パパ・ヘミングウェイ』
著者であるA.E.ウォッチナーは、ヘミングウェイの親友。この作品では、ほかでは見られないヘミングウェイの素顔に迫った伝記。日本では1967年に早川書房から出版された

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(注17) トリエステ
旧オーストリア領、第一次世界大戦によりイタリア領となった都市。第二次世界大戦後に南部はユーゴスラビアが占領した経緯もあり、トリエステにはイタリアとオーストリア、そしてユーゴスラビアなどの多文化が入り混じる。現代イタリア三大詩人の一人として知られる、ウンベルト・サーバが生まれ育った場所。

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(注18) ガブリエレ・ダヌンツィオ
1863年〜1938年。イタリアの詩人であり作家、劇作家。ファシスト運動の先駆とも言える政治的活動を行ったことでも知られる。16歳にして処女詩集の『早春』を出版した。ファシズムの創始者とされるムッソリーニとの親交も深く、多大な影響を与えた人物とされている。


(注19) グローバライゼーション
従来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模で複数の社会とその構成要素の間での結びつきが強くなることに伴う、社会における変化やその過程。この言葉はさまざまな社会的、文化的、商業的、また経済的活動において用いられる。使われる文脈によっては、世界の異なる部分間の緊密なつながりを意味する場合もあれば、負の側面、つまり工業や農業といった産業が世界規模での競争にさらされることで維持不能になるなどの搾取の要素を指す場合もある。グローバリゼーションの進展については賛否両論があり、現在さまざまな分野においてその功罪が議論されている。

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(注20) ゴッホの『梅の開花』
1853年〜1890年。オランダで生まれ、主にフランスで活動したポスト印象派の代表的画家。現在でこそ高い評価を得ているが、不遇の生涯を送っており、生前に売れた絵は「赤い葡萄畑」のたった一枚だけであったとういう。「梅の開花」は1887年に彼が描いた作品で、日本の浮世絵に影響を受けたとされるもの。1887年の作。

Posted by インコントロ STAFF at 00時00分   コメント ( 0 )

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坂田真彦 Masahiko Sakata

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朝日新聞be on Saturday " 赤峰幸生の男の流儀 『真夏のジェントルマン』 2013年7月6日(土)掲載"

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