2008年03月29日(土)
エスクァイア日本版「LAST(vol.11)」5月号臨時増刊(男の靴雑誌) [LAST掲載記事]
シネマに学ぶ、紳士の装い
参考書のようなドレスマニュアルを参照しても、実は装いが巧くなるわけではない。
服に付帯する「生活」や「習慣」を知ってこそ、服は自分のものになる。
その範を映画に求めるべく、3人の達人たちに集まっていただいた。
[Yukio Akamine]
東京・目黒生まれ。1974年に(株)トラッド(WAY-OUT)設立に参画。'82年には(株)グレンオーヴァー設立に参画。'90年に(株)インコントロ設立。自身のブランド「Akamine Royal Line」の他、大手アパレルブランドのコンセプトや海外服地の企画を手がけ、クラシックスタイル構築一筋に活動。
[Yuhei Yamamoto]
東京・渋谷のテーラーケイド主宰。アメリカンスタイルを核として、オーセンティックなメンズウェアを追及している。そのスタイルは新宿伊勢丹「ザ・スタイルゲイト」でも展開している。映画、ジャズに精通し、関連資料のアーカイヴも充実。また近年はロードバイク(自転車)に情熱を注いでいる。
[Akira Sorimachi]
1966年東京生まれ。'90年代よりイラストレーターとして活動。現在は雑誌や広告のイラストの他、インスタレーション等幅広く活躍している。昔日のアメリカやヨーロッパの雑誌が載せていたような雰囲気の絵で知られるが、ご本人もまた、クラシックスタイルを愛するウェルドレッサーである。
山本祐平 僕らの世代は、若いころから早く成熟して、いいリアルクロージングを着たいと思っていました。若づくりなんて必要ない、早く大人の男になりたいと。街で遊ぶときも飲みに行くときも、僕らは背広を着ました、オーダーの服で。そういうのが高いからいいだろうではなくて、ヒップに着たかったわけです。その靴がお洒落だねではなくて、コートの衿の立て方とかがわかってるな、やるね、ヒップじゃないかとか、そういうこと。
赤峰幸生 それは日本人である我々が、外国人、その国の文化の中で生まれ育った人たちの日常の立ち居振る舞いを興味深く見ていたということでしょう。我々は箸文化で、箸を使うことが日常なんだけど、彼らはナイフとフォーク。ナイフとフォークさばき、それが結婚式のときに初めて持つんじゃなくて、日常で使っているから上手い。それと同じように服を“さばいて”着ていると。そのさばき感が、今風な言葉で言うとリアルなんだと。さらに反復の中でそれが歳と共に自分の身に付く。タバコの吸い方、酒の飲み方、食べ方、脚の組み方、歩き方・・・・・すべての動作や目線が自分の中で板に付いてくる。最初はぎこちないんだけど、ぎこちないなりに繰り返していくうちに、次第に高い服やブランドの服を着ていなくても、なんとなく味があるよねという感じになる。ある程度のクオリティであれば、フルオーダーの服だからいいとか、既製服だから悪いとか、そんな論理はないのです。なんの変哲もないけれどいい、というのはその人のさばき方がうまいということなんですね。
−−−−そうした服さばきで感心した映画や俳優は?
赤峰 若いころはジョージ・ペパードやケイリー・グラントが好きで好きでしょうがなかった。それからヨーロッパの俳優に移行していって、19歳、20歳くらいに一番はまってたのはマルチェロ・マストロヤンニ。自分でもナンパ師風の、白の綿ギャバのスーツをつくった。
山本 僕はロマンティストなんです。男のロマンっていうものをソリマチ君は絵で表現するわけだけど、僕はテーラーという天職を見つけた。そこでシーンをつくるわけです、お客様の。その人が仕事をしているシーンや旅に出ているシーン、それに合わせて僕は服をオーガナイズしていきたい。そして、そこには映画の残像がやはり残っていて、それをお客様と共有するのがすごく好き。たかが服、されど服。着るものは単なるお洒落とかじゃなくて、映画が教えてくれたのはロマンティックな部分だとね。例えば女性がドレスアップしたときは、ダークスーツでケイリー・グラントみたいに、フッと後ろに立って椅子を引いてあげるとか。そういう常識だったりマナーだったり、ナルシスティックかもしれないけど、そうしたことが大事。
赤峰 マナーを学ぶのに、映画は素晴らしい教本。例えば向こうの連中は、脚を組んで食事している奴ってまずいない。または綺麗なナプキンの使い方、パスタを食べるときにナプキンをピッとはねながら、こう・・・・・自分のリズムなんだよね。そういうのがかっこいい。
山本 英国人はトラウザーズのポケットに手を突っ込まない。でもアメリカ映画ではコートを持つときにタバコを吸いながらポケットに手を突っ込んで、ティファニーに入っていく。そういうものは映画を無意識に真似している。タバコの吸い方一つにしても、コートの着方、ジャケットの着方でも・・・・・僕が言いたいのはコスプレとか猿真似じゃなくて、所作というものが実は映画の中にたくさんあって、皆影響を受けているということ。僕らはそういうものを見るプロだから、それを言い切らなきゃいけないと思う。コートの衿を何げに立てるとか、ボタンの締め方にしても。
−−−−特定のシーンでこれは真似しようと思われたものは?
赤峰 いまだにやっちゃってるのが僕のカードのサイン。これは「太陽がいっぱい」で、アラン・ドロンがタバコをくわえながら何度もフィリップのサインを練習する、あのサインが僕のサインのスタイルになっています。あとは「鬼火」で、モーリス・ロネがベッドの上にネクタイを並べて、指で弾くようにして選ぶんだけど、あれはいまだに自分がネクタイを選ぶときにやりますね。
山本 「太陽がいっぱい」は、色とりどりの素材なんだよね。リネンやコットン、シルクとかプリントが出てきたり、スクールジャケットも、白のモカシンの靴も、コットンパンツも、シャンブレーのシャツも、素材のオンパレードなんだ。そしてリゾート地の、太陽の光と服の色とのコントラスト、そういうものは後の僕らが服を作るときに、何度も見直すことになる。
赤峰 確かに。その場所・土地という要素はすごく大きい。
山本 英国も含めてヨーロッパ的なスタイルには、石畳の街という要素がある。例えば「ナポリ湾」の、クラーク・ゲーブルがナポリに到着したシーン。その洗練された感じで、ナポリの弁護士役のヴィットリオ・デ・シーカが泥臭く見えちゃう。どっちがエレガントかは差がつけにくいんだけど、田舎の顔役とニューヨークから来た弁護士、それがあの場面でわかるわけ。デ・シーカの服を見ると、すごいソフトな手で縫ったようなふくらみが付いた丸っこい服。着こなしも白の手袋をしたりとか、ホンブルグハットをかぶったり、英国的なものが影響したナポリのクラシコイタリアスタイルです。かたやゲーブルはTVフォールドでハンカチを入れて、ボタンダウンのシャツを着ていたりと最先端のアイビー。そのうえ水道の水が飲めなくてウィスキーで歯を磨くとか、都会人の奇妙な部分、そういうことも含めて文化の違いがある。どっちがいいとか悪いとかではなくてね。だいたい、あのゲーブルだとパリの街も似合わないだろうし。
映画は街を、装いを描いて、人生を伝える。
−−−−フランス映画で、気になった装いはどんなものですか。
山本 僕はフレンチ・フィルム・ノワールだね。モノクロームの世界のダークスーツとトレンチコート、バルマカーンコート。ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ。でも映画的に一番チャーミングなのは「男と女」かな。ジャン=ルイ・トランティニャンのカジュアルが大好き。トランティニャンのなんてことのないフランネルのパンツとチャッカブーツにカシミアのセーターとか、そういうのがいい。アヌーク・エーメもいいね。ランチコートの着方なんかは男のスティーヴ・マックイーンより、アヌーク・エーメを見て影響を受けた。
−−−−赤峰さんは、フランス映画だと印象的な作品はありますか。
赤峰 「華氏451」、オスカー・ウェルナーの、フランス的ニットの着方とはこうなんだみたいなところ。ジャンヌ・モローとのシーンで、ドロッとリブのあまい、あの感じは忘れられない。
山本 ニットと言えばウディ・アレンとかの、コーデュロイの膝の抜けたパンツにネルのシャツ着て、シェットランドのセーターにツイードのジャケットという合わせもある。
赤峰 ナチュラルショルダーの、ポール・スチュアートやサウスウィックあたりのジャケット。夏でもツイードっぽいジャケット着て、デロッとした感じで、という。あの時代のウディ・アレンと自分の中でダブるのはアンディ・ウォーホルだね。ウォーホルとウディ・アレンって全く違う世界のふたりなんだけど、マンハッタンっていう街が産み落とした一連の人物という。マンハッタンなくしてあの人たちはあり得ないと感じるね。
山本さんも僕も若いときに感動したものというのは理屈じゃないから、いくつになっても匂いを記憶しているのと同じように覚えていて。現在でも何かに相対したときにそれが蘇る。若いときの感動を嗅覚のそれのように記憶装置の中に入れておくことは大事だと思うね。
山本 映画の中の台詞だとか、映画の中の父親像・男性像というのが、(自分にとっては)黙示録。例えば「ゴッドファーザー」に出てくる台詞から、男ってこうやって生きなきゃダメだなといったことを知る。そういうことって親や上司からより、映画の中の男のイメージから色々と教わることがあるんじゃないかな。例えば男と女の揉め事には口を出すな、なんて言葉とか。服ももちろん、生き様とか人生観に至るまでね。
「ナポリ湾」
クラーク・ゲーブル、ソフィア・ローレン主演の、ナポリを舞台にしたラブコメディ。死んだ兄の財産整理にナポリを訪れたニューヨークの弁護士が、兄の子を養育する地元の女性を見初める。(パラマウント・ジャパン)
「ティファニーで朝食を」
トルーマン・カポーティの小説をベースとした作品。主演はもちろんオードリー・ヘップバーン。コールガールと作家の恋を「上品に」演じた。ヘンリー・マンシーニの音楽も美しい。(パラマウント・ジャパン)
「アニー・ホール」
ウディ・アレンとダイアン・キートンによる、'77年公開の恋愛映画。コミカルで切ない都会の男女の関係が描かれる。作品賞ほかアカデミー各賞を受賞。(20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)
「男と女」
クロード・ルルーシュ監督、アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン主演。フランシス・レイによる主題歌はあまりにも有名。冒頭からスタイリッシュな映像美が際立つ。(ワーナー・ホーム・ビデオ)
「太陽がいっぱい」
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の青春映画。地中海沿岸の美しい風景のもと、人間の本性とそれゆえの愚かさが描かれる。ニーノ・ロータの音楽が映像美に華を添える。(ジェネオン・エンタテイメント)
「甘い生活」
フェデリコ・フェリーニ監督の代表作のひとつ。マルチェロ・マストロヤンニ演じるローマのゴシップ記者の、華やかで退廃的な日常を描いている。そのラストシーンはいまなお謎めいている。(アイ・ヴィ・シー)
Posted by インコントロ STAFF at 00時00分 コメント ( 0 )