2009年04月24日(金)
OCEANS 6月号連載 AKAMINE STYLE 目覚めよ、日本の男たち! [OCEANS掲載記事]
マエストロ赤峰の「オトナ相談室」
仕事、家庭、子育て、そして愛・・・・・・などなど。30〜40代のオーシャンズ世代にもなれば、少なからず何かしら悩みのタネは持っているもの。そんな皆さまの“駆け込み寺”として開設されたのが、このオトナ相談室。
皆さんの質問にお答えするのは、“人生のマエストロ”こと赤峰幸生氏。
今月も痛快なご意見で迷えるオーシャンズ読者に救いの手を差し伸べてくれるハズ!では皆さん、ご一緒に! 教えてっ、マエストロ!
今月のテーマ
“理想の友”
[今月の質問]
赤峰さん、初めまして。突然ですが、私の悩みを聞いていただきたく筆を執りました。私は現在36歳。都内の電機メーカーに勤める者です。実は私、この春に転職したばかりなのですが、職場の雰囲気になじめないのです。私の部署には社員が30名ほどおり、ほとんどが男性ですが、同世代の人たちは何かにつけて、集団で行動します。仕事でのチームワークは大事だと思いますが、仕事以外の飲み会でも昼食でもなんでもゾロゾロ・・・・。仕事に対する意見をぶつけ合うこともなく世間話で終わるだけの時間がどうも苦手なんです。私は仕事を通じて本当の友を得たいと思っています。だから、こんなぬるま湯のような関係にどうもなじめません。そんな僕は協調性のないダメな人間でしょうか?。(36歳・神奈川県在住・T.K.さん)
Q.そりゃ〜がんばらなきゃダメダメ!だって友達はとにかく数でしょ。いっぱいいるに限りますよ〜!ねっ、マエストロっ!?
ばか野郎っ!!このアンポンタンめがっ!春になって頭の中にも花が咲いちまったようだな、まったく。
では答えよう!この読者はいたってまともな男だ。私もときどき東京のビジネス街で昼飯を食うことがある。もちろん一人でだ。すると必ず5、6人で飯を食っている職場の同僚らしいグループと出くわすものだ。まあ、まったく興味はないのだが、会話が耳に入ってくる。するとどうだ。仕事の愚痴や上司への不満を言っているのはまだマシなほうで、ただ、自分の身の周りに起きたこと、昨晩観たテレビの内容をダラダラみんなに報告し合っているだけの集団もいる。周囲も空気を読んでかウンウンと相槌を打っているだけ。これは決して友達なんてものではない。単なる「知り合いの群れ」にすぎない。
言いにくいことは言わず、場の雰囲気に合わせた当たり障りのないことだけを話している。私からすると不思議で仕方ないが、彼らは何らかの集団に身を置いていなければ、不安を感じるのだろう。ただ、そんな安直な動機から成立している群れが、仕事で力を発揮し得るはずはない。環境が少しでも変化すれば、バラバラになることは目に見えていよう。だから、そんな群れに入ろうと努力したり、疎外感を感じたりすることなどまったくないのだ。
Q.でも、友達は大事っスよ?なんらかの集団の中に属さないと本当の友達なんて、出会えないじゃないですか〜!
この大ばか野郎がっ!お前はどうやら「知り合い」と「友達」を混同しているようだ。
本当の友達を得たいならば、まずは線引きをしなくてはならない。私に言わせれば、前者は利害関係がある人間だ。そして後者はそういうものをいっさい抜きにしても、「一緒にいたい」と思う人間だ。昼飯を一緒に食わなければならない、飲みに行かなくてはならない、そんなことでしか継続できない人間関係は、ただの知り合いだ。
「知り合い」と「友達」の違いは、衝突したり、何らかの危機をともに乗り越えたりすることで明らかになる。例えば私には、3つ下の親友がいる。彼は優れたパタンナーで、私が独立した30歳のころからの付き合いだ。当時、彼は部下だったが、私のやることが間違っていると思ったら、彼は遠慮なく噛み付いてきたものだ。最初はうっとうしいとも思ったが、会社を続けていくにつれ、こんな得がたい男はいないと思うようになった。簡単に先輩や上司に気に入られたければ、ただ阿諛追従(あゆついしょう)をすればいい。実際、ただ媚びへつらうような輩もいたが、自分がいざ危機に陥ったとき、そんな奴は何の力にもならなかった。だが、彼はどんなときでも自分の利害を抜きにして、私にぶつかってくれた。だから私もそのつど、彼に全力でぶつかった。殴り合いの喧嘩をしたことも一度や二度ではない。その後、我々は別々の道を歩んで30年が経つが、今なお盆と正月にはどちらからともなく会おうと言い出し、酒を酌み交わす仲だ。
また、そんな友情には国境も関係がない。イタリアに二十数年来の親友がいる。彼はパンツ工場のオーナーで、初めて会ったときから、彼の律儀なもの作りに好感を持った。その後、彼は私の紹介によって日本でパンツを売ることになった。だが、彼の工場がミスをして、取引先に大迷惑をかけてしまったのだ。私はそのとき、彼を連れてお詫びに行ったのだが、そこで彼に土下座をさせた。日本での礼節を伝えたかったこと、彼のビジネスを成功させたかったことが理由だが、その時、ひどいことをしたかもしれない、と不安になった。しかし、彼は帰国後、こんな手紙をくれたのだ。「利害関係のなかったユキオが、オレと一緒に土下座をしてくれたことは、一生涯忘れない」。以来20年が経つが、彼は私がミラノに行くたび、2時間も車を飛ばして空港まで迎えに来てくれる。
「嗚呼、人は困ったときにこそ、初めて本当の節義が見られるものだ」。唐の文人、韓愈は「柳子墓誌銘」にこんなことを書いている。苦難に向き合ったときこそ、損得勘定なく助け合える。それが本当の友達であり友情なのだ。
(→)マエストロの口癖でもある「真剣に生きろ!」。その神髄を知るべく今月は、居合抜きの名流、夢想神伝林崎抜刀術の道場にて真剣を振るっていただきました。マエストロも初の真剣でしたが、その力強い太刀筋には、師範も舌を巻くほど。いかにマエストロが真剣に生きてきたかを物語る剣の冴えでした。「真剣は思っていたよりも数倍重い。しかも固く巻いた藁の束をこともなく切断する切れ味にも瞠目した。古の武士たちが、いかにひと振りごとに覚悟を込めていたかを思い知らされる」とマエストロ。その鋭い眼光は、真剣に劣らぬ“凄み”を感じます。
Q.な、なるほど熱い、熱いですね。ほとばしってますねぇ〜!でも、利害を考えないのなら仕事以外で親友を求める、そのほうが現実的なんですか?
ばか野ろっ・・・・と言いたいところだが、なかなかいい質問でもある!
大半の男は、仕事に人生の大部分を時間を費やす。そして言うまでもなく仕事はビジネス、つまり利益を追求する場である。しかし仕事であっても、利害を抜きにして、純粋に腕を認め合うことで生まれる友情もある。そして、これほど尊いものはない。
それを教えてくれたのは、旭川にあつ縫製工場の主で、私と同年輩の職人であった。出会ったのは数十年前、私がグレンオーヴァーというブランドをやっていたときのことだ。当時、1mで1kgもあった極厚でヘビーウェイトのウール生地を入手した私は、この生地でダッフルコートを作るべく、日本中の名のある工場を回っていた。しかし、そんな厚手の生地を縫い上げるのには高い技術が必要で、手間も通常の数倍かかった。つまり儲からないから、どこも請け負ってくれなかった。数十軒の工場に断られ、最後にたどりついたのは、知人づてに知った旭川のサンケーソーイングという縫製工場だった。それまで見たなかでも最も高い技術を持った工場だったが、社長である川森さんも、やはり首を縦には振らなかった。ただ、彼は私を酒場に連れて行き、熱い酒を飲ましてくれた。その人柄にほだされた私は、いつの間にか親友にしか話したことのない服作りへの思いを語っていた。
その後東京に帰ると、彼から電話があった。「50年経っても着られるヴィンテージの服作り。私にも手伝わせてください」。私はその後何度も旭川へ足を運んだ。そのたびに工場で川森さんとぶつかり合い、彼の奥さんに止められたこともしばしば。しかし、喧嘩の後は酒場で肩を抱き合い、朝まで語り合った。完成したダッフルコートは、私が知る限り世界最高の出来栄えだった。雑誌にも幾度となく紹介され、圧倒的な売れ行きを記録した。少量生産ゆえ儲けこそ少なかったが、私は心底うれしかった。数年後、ブランドは休止したが、私はことあるごとに、彼と酒を飲むために旭川へ行ったものだ。
その後、互いに仕事が忙しくなり、18年ほど会っていなかった。そして7年前の一月、彼の妻から手紙が届いた。彼の訃報であった。葬儀は本日とのこと。私は翌日にイタリア出張を控えていたが、彼の顔が脳裏にちらつき、どうしても最後の顔を見てやらなくてはと思い、仕事着のまま、羽田に向かい旭川へ飛んだ。膝までつかる雪の中を革靴で進みながら、やっとの思いで寺に着いた。そのころ葬儀は終わっていて、会場は閑散としていた。
私の目に飛び込んできたものは、ひつぎの横に飾られたあのダッフルコートだった。驚きのあまり言葉を失った。ひつぎの傍で着せつけられたコートは、20年近くを経ていたが、型崩れもなく、当時のままの風格を湛えていた。思わず熱くなった目頭を押さえながら、私は彼のひつぎに深く頭を下げた。
私は彼の腕に惚れ、彼は私の熱意を認めてくれた。だからこそ、互いに利害を度外視し、一切妥協のない仕事ができた。私は仕事で最高の友と出会い、最高の仕事ができたと思う。彼も同じように感じてくれたからこそ、コートをあの世へ持って行ったのだろう。
仕事に対する姿勢や腕前を認め合い、高め合える。これこそ私の考える理想の友であり友情のひとつのかたちだ。おそらくそんな友は生涯で5人もいれば十分だろう。量より質。そのためには、常に本音で生きよ。会社の仲良しサークルに満足しているだけではいけない。今からでも遅くはない。ぬるま湯に浸かるのをやめて、一歩を踏み出せばよい。そして、生涯の友を探すのだ。
−近ごろのマエストロ−
最近、敬愛する池波正太郎氏が愛した江戸の味を巡るのに凝っている。氏の愛した味をたどりながら、その生き様に思いをめぐらせる。単なる真似でしかないのだが、店で静かに料理を味わっていると、池波氏の哲学、感性に触れる思いがする。そもそも「学ぶ」の語源は「真似る」にあるという。もし、誰かの生き方に憧れを覚えたなら、その人物の生活を真似ることから始めてはいかがだろう。かつて能の大成者、世阿弥も芸の基本を「物真似」に置いた。デッサンがうまくいけば、後は自分なりの色をつけていけばいいのだ。スタイルの確立は、真似から始まるのである。
■皆さんからの質問待ってます!
仕事から家庭、恋愛、そしてファッションetc.・・・・・・、日ごろ読者の皆さんが抱える悩み、疑問など、相談したいことを何でも教えてください。マエストロ赤峰がズバッと解決いたします!少誌のホームページ[ www.oceans-ilm.com ]へアクセスのうえ、投稿してください。
Posted by インコントロ STAFF at 00時00分 コメント ( 0 )